WAVE85
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子供の頃から芝居や歌で周りの人たちを楽しませるのが好きだったことから芸能の道に進み、今は少しでもコロナ禍の世界を照らす光になりたいと語る渡辺さん。リンテックもCO2排出量の削減をはじめとするさまざまな課題の解決に向けて、事業活動を通じて社会に貢献していきたいと考えています。11した悪い農民が真似して食べると、オナラではなくて「ミが出た」というシーンでは、さらに大笑いになる。私は、そのシーンを語った時の子供たちの笑う表情と笑う声が好きで、ついつい乗せられて語り続けるようになったのだった。小学校に入ると、お誕生会の余興のお芝居にはまってしまった。お客様は、お誕生日の級友と仲良しの子供たちの家族。五、六人を喜ばせるために、私は級友たちに泣きながら演出していたらしい。私の脚本に出演した友達が「えりちゃんは小学校の時から全然変わってないね」と口を揃える。そのお誕生会の写真が今も残っていて、毎年同じメンバーで劇団のように上演していたことが分かる。2歳か3歳の頃、喋るより先に炬こたつ燵の上で「荒城の月」を歌ったら家族が目を見開き、笑顔で「えりちゃんは歌がうまい」と大拍手を送ってくれたのが嬉しく、そんなに喜んでくれるのならと歌も歌うようになった。中学校に入ると、オリジナルの脚本を書いて文化祭で上演するようになる。これも生徒や先生たちが大喜びしてくれたおかげである。声楽クラブや合唱クラブで顧問の先生に指導を受け、高校の演劇クラブで演劇を作り続けて今日に至っている。昔から言われている「三つ子の魂百まで」という言葉は、こういうことなのだろうか?とにかく人が喜ぶ顔を見たいという一心で演劇を作り、歌を歌ってきた。それがコロナ禍で、人々の精神的な苦しみを少しでも緩和し、孤独を癒し、生きる勇気に繋がる一筋の光になりたいと願う心、この心自体がくじけそうな状況が長く続いている。66歳になった今、自分自身にもっと強さと優しさが欲しい。そして、励ましの言葉が欲しいと願ってしまう。渡辺えり劇作家・演出家・俳優・歌手。山形県出身。「オフィス3さんじゅうまる◯◯」主宰。『ゲゲゲのげ 逢魔が時に揺れるブランコ』で岸田國士戯曲賞、『瞼の女 まだ見ぬ海からの手紙』で紀伊國屋演劇賞を受賞。演劇界のボーダーレスを切り拓いた一人。また、演劇のみならず歌手としてもコンサートを開催するなど、積極的に音楽活動も行っている。

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