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グッズも、木久蔵ラーメンをはじめ絵ハガキ・本と、いっぱい店を出した。こうして書いてみると、林家木久扇は何と幸せなことかとつくづく有難い。林家一門、11人の弟子たちも負けてはいない。昨年4月頃、店頭にはマスク不足で人が並び、大きな社会現象となった。これは商機だとひらめいた林家彦いちは、マスクの供給を考え付く。アウトドア仲間の友人を長野県諏訪市に訪ねて、ポリエチレンのロールを求め、レーザーカッターでカットしてマスクにした。真空詰めのものを1日100セット作って送り出したのだ。林家やま彦という若い前座は、諏訪の住み込みとなって製品を作り、東京でそれを後輩の前座、林家きよ彦と林家ひこうきの二人が袋詰めにして「前座マスク」として売り出した。これがテレビでも取り上げられて評判になり、1,500セットを売り上げたそうだ。教師の資格を持っている林家ひろ木は、人づてに紹介された横浜の小学校でアルバイトの非常勤講師をやっている。書道(四段の資格あり)、図工、算数の3科目を教えているそうだ。彼は落語のほかに津軽三味線も弾けるので、伝統文化の時間を作って披露したら先生や生徒たちもビックリし、授業は盛り上がったそう。「面白い先生!として評判がいいんです」と本人が言う。九番弟子の林家けい木は、身軽ですばしっこい。彼が生活の糧として見付けた仕事がウーバーイーツ。自転車でリュックを背負って配達する出前である。「どんなものを届けるの?」と聞くと、「タピオカ ドリンク1杯、ラーメン1杯の時もあるし、スーパーで牛乳やジュース、食品のまとめ買いをして配達することもあります。これは重くて大変です」と言っていた。まだまだ書ききれないが、林家木久扇一門、各々が知恵を絞って「コロナ何するものぞ!」「コロナなんかに絶対負けるもんか!」と立ち向かい、これからも頑張って落語家を続けてまいります。コロナ禍で活動が制限される中、今できることに精力的にチャレンジする木久扇さんとお弟子さんたち。リンテックも抗ウイルスフィルムやソーシャルディスタンスの確保を呼びかけるフロアマーキングフィルムなど、持ち前の粘着技術を生かした製品を展開し、感染拡大防止に努めています。林家 木久扇(はやしや きくおう)落語家。1937年、東京都日本橋生まれ。1956年に漫画家の清水崑氏へ入門。1960年に三代目 桂三木助門下へ入門し、三木助没後には八代目 林家正蔵門下へ移る。1965年に二ツ目、1973年には真打に昇進。現在は一般社団法人落語協会相談役、公益社団法人俳人協会会員、公益社団法人日本漫画家協会参与。日本テレビの「笑点」では50年以上レギュラーメンバーを務めるほか、歌・絵画・執筆活動など多方面で活躍中。13

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