WAVE81
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金かなりや糸雀リンテック LINTEC 森山 良子約7ヶ月半ぶりに開催されるコンサートに向かう車の中で喜びに胸震わせながら、またデビュー以来、初めての長いブランクがステージにどのような影響を及ぼすのか少しの不安を感じながら、このエッセーを書いている。子供の頃、何気なく聴いていた「金糸雀」。『唄を忘れた金糸雀は 後うしろの山に棄すてましょか。いえ、いえ、それはなりませぬ… 背せど戸の小こやぶ藪に埋いけましょか…柳の鞭むちでぶちましょか…』ここ数ヶ月間、この歌を何度も思い出 して心の中で口ずさんでいた。それほど私自身は本来の“歌う”という仕事ができない、何の役にも立たない居心地の悪い日々を送りながら、自分の存在を何だか 悲痛な気分で見つめていた。後の山に棄てられた気分で…。休みの間は、隣に住む娘家族とご飯を作ったり、一緒に食事をしたりしていた が、こんなに家族と共に過ごす日々は、 これもまたデビュー以来、初めてのこと。毎晩、次の日の献立を考えるのが日課になり、毎日キッチンに立つことは胸躍る 嬉しい経験でもあった。また、なかなか 仕上げることができなかった大好きな針 仕事も毎日2、3時間と決め、次の日に 何もなければ徹夜でチクチクチク。よう やく、数年越しで取り掛かっていた大き なマットを縫い上げることができた。それはそれで達成感と嬉しさはあるが、こう いう日々がいつまで続くのだろうという ジレンマはどうしてもつきまとう。何かの 役に立ち、自分を生かせる日々とはどういうものだろうか。来し方を考えてみる。かなり幼い頃に、私は歌い手になると決心し、小学校を卒業する頃には、両親に「歌い手になります」 と告げた。両親からは「良子ちゃんが考えているような甘い世界ではない。ちゃんと歌の勉強をして、高校を卒業するまでは 待ちなさい」と念を押すように言われた。その後、中学2年生の頃から叔父(ムッシュ かまやつの父)にジャズを習い、同時に クラシックの声楽を学ぶために坂さかがみ上昌まさこ子先生の門を叩いた。当時、先生は26歳でESSAYエッセー10

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