WAVE77
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私は普段は日本で働いていて、時々家族が暮らすオーストラリアのパースという街に戻ります。子供たちの教育のために移住して早6年近く。年に何回も飛行機で往復する暮らしにもすっかり慣れました。出稼ぎ大黒柱母さんです。パースは西オーストラリア州の南端近くにあります。人口は200万人ほどで、日本の福岡市をイメージするといいかもしれません。中心部にはコンパクトな都市があって、その周囲が住宅地、そしてすぐそばにインド洋が広がり、美しい自然がある、とても住みやすい街です。引っ越しの直接のきっかけは、夫が仕事を辞めたことです。ずっと共働きでしたし、この先もそうだと思っていましたから、家計を一緒に支えている夫が仕事を辞めたのは私にとって予想外の出来事で、大きな不安がありました。でも、変化をポジティブにとらえようと思い立ち「夫が仕事をしていないからこそできること」を探し始めたのです。私は商社に勤務していた父の赴任先だったオーストラリアで生まれ、幼い頃にシンガポール、香港などで暮らした経験があります。その記憶は今でも大事な財産です。ですから、夫が東京にいなくても良くなったのなら、東京以外の場所で、しかもいろいろな文化が混ざっている自然の豊かな場所で子供を育ててみようと 思いました。子供たちと夫はどこかに住んで、自分は東京と行ったり来たりして家族 を支えればいいではないかと。そこで、多文化社会で豊かな自然があり、時差がほとんどなくて親日国でもあるオーストラリアに移住することにしたのです。ただでさえ世帯収入が激減したのに、海外に引っ越すなんてどうかしていると思うでしょう。今思い返しても、本当にどうか していたと思います。でも、思い切って実行 ESSAYエッセーリンテック LINTEC 画面越しの親子時間小島 慶子10

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